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少女達の不安と後悔 -劇場版アイドルマスター輝きの向こう側へ 感想その1

内科部長(循環器)です。

『劇場版アイドルマスター -輝きの向こう側へ』を観てきました。

今日まで合計4回(!)観たのですが、正直言って初見時の印象はあまり良くありませんでした。物語の焦点がはっきりせず、テンポが悪くて、散漫と言うか何と言うか。とにもかくにも未完成な感じの映画だなぁというのが率直な印象でした。
ところが、2回目以降よく観てみると、この映画はかなり複雑な構造を持ち、細部までよく作り込まれた作品であるという印象が強くなってきました。それでもなお残るいくつかの構造的な問題は、この映画のせいというよりはむしろ『アイドルマスター』という世界自体の構造に起因するものであろうと考えるに至ったのです。

というわけで、いま現在ではこの映画に対しては初見時よりもポジティブな評価を下しております。1回観て「ん?」と思ったあなた。そうそこのオヤジあなたですよ。だまされたと思ってもう1回観てください。

さて、

せっかくですので感想その1としまして、この映画の中から『アイドルマスター・ミリオンライブ!』の少女達が出演する部分に焦点をあてて語ってみたいと思います。もちろん深読みと妄想全開で個人的見解に基づいた感想ですのでで、オヤジのキモポエムと思って読み飛ばしていただければ幸いです。

また、当然のことながらネタバレ全開でございますので、まだこの映画をご覧になっていらっしゃらない方はご注意いただければ幸いです。

















さて、まずはじめに私は『アイドルマスター・ミリオンライブ!』のゲームに関してはほとんど知識がなく、ミリオンライブ!の彼女たちに関しては、もっぱらこの映画を観た印象に基づくことをあらかじめお断りします。

さて、この映画には大きく分けて二つの物語が存在します。一つは765プロのアイドル達の物語であり、もう一つはミリオンライブ!の少女達の物語です。実はそれぞれがもっと大きな物語の一部分であると推察されるうえに、二つが同時に並走して語られていることが、この映画に散漫な印象を与えると同時に、その解釈や評価を難しくする原因となっていると考えます。このことに関しては次回以降、この映画の構造と765プロのアイドル達の物語に関してお話ができればと思います。(ステマ)

さて、この映画のにおける『アイドルマスター・ミリオンライブ!』の少女達の物語を一言で語るならば、『アイドルを目指す少女達(アイドル未満)が、試練に出会うことで(少し)人間的に成長し、結果としてアイドルとして最初の一歩を踏み出す』ということになろうかと思います。

はい、終了!

では、ブログにならないのでもう少しその内容を考察してみたいと思います。

この物語の主人公が北沢志保と矢吹可奈の二人であることには異論はないでしょう。

北沢志保は一見して高慢でクールかつドライな人物と理解されがちです。しかしながら、私はそれは誤解だろうと思います。彼女はとても心配性な人間なのです。彼女の震える手。握る拳。伏せる目。彼女に関するそういった映像表現はすべて彼女の中にある『心配』や『心の弱さ』、『自信の無さを』を浮き彫りにしています。表面上の強気は真の強さではなく、そうした内面の弱さや、がんばり続けなければ転落してしまうという恐怖を覆い隠すためのカモフラージュなのです。

彼女は自分に自信を持つことができません。アイドルになれるかどうか。ダンサーとして765プロのアイドル達と同じステージに立ったときうまくやることができるのか、心配で心配でたまらないのです。さらに言うならば、そんな心配性で弱気な自分のことが好きになれないのです。認めたくないのです。

こうした未来に対する心配。それを『不安』と言います。彼女は『不安な人』なのです。

『不安』に苛まれつつ生きる彼女の人生は当然『生き辛い』ものとなります。その『生き辛さ』を緩和するために彼女は自らを厳しく律して、ハードに練習をする道を選びます。ハードな練習に没頭する時、一瞬ではあるけれど、彼女はそうした生き辛さを忘れることができるのです。それは生き辛さから逃れるためのある種の依存的行為ということもできます。しかしながら、そのハードな練習は『真の意味での成長』を目指すものではなく、ある種の依存的行為であるゆえに、練習してもしても、その後の気持ちは楽にならないし、自信も得られません。ゆえに苛立ちはさらに募る一方となります。そしてその苛立ちを矢吹可奈をはじめとするミリオンライブの少女や765プロのアイドルにぶつけますが、もちろんのこと事態が改善するはずもなく、全体としてのダンスは向上せず、彼女は孤立し、ますます不安が募ることになります。そうした状況を見た美希に『不安』を看破されることになりますが、それに対して反論することさえできず。徐々に破滅の淵に近づいていきます。

一方、矢吹可奈には人には言えない秘密があります。それは『ストレスがかかると甘い物を食べてしまう』というものです。それは彼女もまた心配性でストレス耐性が低い人であることを表しています。そして、彼女はそのことをひどく恥ずかしく思っています。プチシューを落とし、拾いながらも後ろ手に隠すシーン。あまりに気合いが入ったヌルヌルの作画で話題になりましたが、あのシーンが表すものこそが彼女の本質だからこその気合いの入った作画ではないかと考えます。

もともとダンスの才能が豊かとはとても言い難い彼女は、練習が進むにつれ徐々に周囲の進歩から取り残されていきます。そして、ダンスが進歩しなかったことに対することを強く『心配』するようになります。

こうした過去や結果に対する心配。それを『後悔』と言います。彼女は『後悔する人』なのです。

こうして彼女もまた後悔に起因する強い『生き辛さ』を抱えることになり、それを緩和するため、ますます甘い物を食べるようになります。志保の激しい練習と同じように可奈の甘いものを食べるという行為は『生き辛さ』を緩和するための依存的行為と言う意味でほぼ同義です。そしてそれは『体重増加』という形で現実を浸食し、ダンスはますます困難になり、彼女のますます後悔し、生き辛さもますます増大していきます。

また、女性にとって『太る』ということは男性には理解できないほど大きなネガティブイメージを与え、可奈の自己概念を著しく低下させます。この太るという描写に関して批判があることは承知していますが、太るということが与える意味の男女差とその重要性を軽視すべきではないだろうと思います。摂取障害(過食症・拒食症)患者のほとんどが女性であること、そして拒食症患者は死に至ることもあるというこの事実は、そのことを何よりも雄弁に語っています。やせるためには命をかけることもいとわない、そういう女性特有の心性は確かに存在するのです。

そして、決定的な事件が起こります。ミニライブのダンスで転倒した矢吹可奈は北沢志保に激しく糾弾されてしまったのです。

『ダンスが進歩しなかった』『甘いものを食べてしまった』『太ってしまった』そして『ミニライブで失敗してみんなに迷惑をかけた』。彼女の後悔は決定的なものになります。彼女は過去の出来事の虜にされてしまったのです。

矢吹可奈もそんな心配性で弱気な自分のことが好きになれないのです。認めたくないのです。だからこそ表面上は陽気に振る舞います。そうやって彼女もまた徐々に破滅の淵に近づいていきます。

表面上は対照的な二人。でも実は似たもの同士。心配で心配でたまらなくて。でも心の底からアイドルになりたくて。一生懸命がんばるんだけど、がんばればがんばるほどかえってうまくいかなくなって。そんな自分が情けなくて不甲斐なくて好きになれない。

がんばればがんばるほど事態は悪化します。矢吹可奈は姿を消し、北沢志保は一人努力しますが、チームワークを欠いたミリオンライブ!組のダンスはばらばらになり、かえってその質は低下します。

破滅がすぐそこに迫ったその時。

そんな彼女たちの前に天海春香が登場します。

まず、天海春香は過去に捕らわれた矢吹可奈を強引に表に引きずり出します。そして、それでも逃げる彼女を堤防の上で左右から挟み撃ちにすうるのでした。画面の左右は過去と未来を表します。つまり過去と未来から追い詰められた矢吹可奈は真ん中=現在に立ち尽くすほかなくなります。

そして天海春香はミリオンライブ!の少女達を伴ってアリーナの舞台に立ちます。

そしていくつかの重要なコンセプトを提示します。

いまこの瞬間を大切にすること

北沢志保は心配するあまり未来への不安に捕らわれていました。
矢吹可奈は心配するあまり過去への後悔に捕らわれていました。

でも、過去は変えられないのです。
でも、未来はわからないのです。

大切なものは、変えることができるのはいまこの瞬間だけ。いまこの瞬間の自分の気持ちだけ。

『トップアイドルになって輝きの向こう側を目指したい!』

北沢志保も矢吹可奈もいまこの瞬間の気持ちは同じなのです。でも未来への不安や過去の後悔に捕らわれていて、そういう気持ちを忘れていた。いや忘れようとしてしまった。

矢吹可奈の部屋にはミニライブで失敗してしまった"MUSIC♪"のCDが置かれていました。もう練習する必要のない曲のCDが。彼女はまだ諦めきれてはいなかった。北沢志保は堤防の上で矢吹可奈が天海春香の期待に応えられない自分の情けなさを吐露した瞬間、ぎゅっと傘の柄を握りしめます。彼女もまたアイドルになるために背負ってきたものがあったのです。

彼女たちはいま一度そうした気持ちに正対することを要求されます。

そして自分を認めること。

人生は人間関係です。そして人間関係で最も重要なのは自己との関係です。

自分自身との関係。自分の気持ちに正直になること。自分を認めること。そして正当な意味で自分を好きになること。これこそがあらゆる人間関係のスタートなのです。

私は天海春香。トップアイドルを目指したい!
私は矢吹可奈。トップアイドルを目指したい!
私は北沢志保。トップアイドルを目指したい!

彼女たちが自分自身と正対し、ありのままの自分の感情と希望を認めた瞬間に新たな認知の世界が広がります。

そして自分自身との関係性を修復した瞬間から、他者との関係性の修復が始まります。

なぜなら自分を好きになれない人間は。他人を好きになれないし、自分を認めることができない人間は他人を認めることもできないからです。

いまここにいる自分は自分ひとりで存在しているのではない。人生は人間関係です。人間は他者との関係性の中で生きるほかないのです。成功への道は他者との良好な関係性抜きには存在しないのです。ましてや、他人に夢を与えるアイドルをやです。

彼女たちはがんばるあまりそうしたことを忘れてしまっていた。自分を支え、導いてくれる人達との関係性を。

自分は自分ひとりの力でここにあるのではない。たくさんの人達との関係性の中で、その人達の想いも繋いでここに立っているのだ。

そのことを初めて自覚したのです。

少女達は学びを得てまた一歩成長します。北沢志保に深々と頭を下げる矢吹可奈の姿に、そうした一歩大人になった彼女たちの姿の表れを見ました。

そして

アリーナの大スクリーンには765プロ達のアイドルの姿に引き続いて、ミリオンライブ!の少女達が映し出され、そして光り輝くアイドルマスターのロゴマークへと続きます。

この瞬間。少女達はアイドルになり、トップアイドルへの道を踏み出ししたことを高らかに宣言しつつ。

新しいアイドルマスターの世界の誕生。

アイドルとしての一歩を踏み出した彼女たち。
そして彼女たちを支え、導く者たち。


語られるべき物語がそこにあります。
アイドルマスターの、成長の物語はまだ終わらないのです。






[追記1]
"MUSIC♪"のCDに関するくだりは、turnKさんにご指摘ただきました。さすがと言わざるを得ません。

[追記2]
矢吹可奈の甘い物に対する欲求を「拒食症」と表現することには反対します。こうした正式の医学用語の使用には慎重であるべきと考えます。

[追記3]
北沢志保にはなにかしら"アイドルにならねばならぬ"的な強迫的な雰囲気を感じました。まったくの直感的推察なのですがひょっとしたら機能不全家庭などの設定があるのでしょうか。(←ミリオンライブ!知らない人)

Comment

No:54|早く
早く次を読みたいので、早く書いてください!
No:55|
スポーツ選手やアイドルはピーク早くて、まだ十代のうちに自分の内面深いところや、或いはどうしようもなく抱える生き辛さと相対せねばならなくなるそうですね。
自分がその年頃何を考えていたかなんてさっぱり覚えていませんが、たぶん何も考えず暢気に日々過ごしていたんでしょう。あのような生き方はとてもできなかったろうし、自分は子供いませんがもしそうした道を進むとか言い出したら一度は反対するんだろうなと思います。
ああして輝くステージに立つまでの、逡巡や躊躇いの姿は、誰にでも出来る事ではないからこそ尊くて涙を誘うように思いました。
No:56|管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
No:57|
はじめまして。深い洞察に驚きました。
私はミリオンライブ!をプレイしていますが、まったくミリオンを知らない方が志保の仕草を事細かく観察し、その本質を見抜かれたのは驚愕です。また、嬉しいです。
お察しの通り、志保の家庭は父親が不在であることが暗示されています。生きてはいるがどういう人物なのか、どこにいるのか、は志保自身も分からないようです。志保の私服にはよく見ると襟元に猫のブローチ(?)のようなものがついていますが、志保がかわいいもの好きであることの他に、「猫のぬいぐるみ」を父親から譲り受けたようで、それも影響しているのかもしれません。仲の良い年の離れた弟がいることもあって、ミリオンライブ!において、同じく機能不全家庭(だった)千早が気にかけている様子も伺えます。
ちなみに志保は運動が苦手です。だからこそ自分に厳しくあり続けて、焦り、不安だった……というご指摘はごもっともです。
可奈の部屋のCDはまったく気づかなかったので、私ももう一度見に行こう、と思えました。

ミリオンライブ!のアイドルを出すことによって、不満を持った方もいらっしゃり、映画の感想にも「でしゃばりすぎ」や「志保がうざい」「可奈は身勝手だ」など、批判がありとても悲しく思っていました。そんな中、初見での印象がけっして良いものではなかったのに、そのまま終わらず、何度も見て彼女たちを理解してくださってありがとうございます。ひとりでもそういう方がいらっしゃると励みになります。

続きも楽しみにしていますね。
No:58|
美希も言ってるように志保はホントに
心配性だなと思ってたのですが、それは志保だけでなく
可奈も同じという考察が実に仰るとおりだと思いました。
可奈も体重のことは勿論、失敗や、憧れである春香に
迷惑をかけたくない、という心配のしすぎで
自分のトップアイドルになりたい、という気持ちを
抑え込んでいたんだなと改めて思いました。

アリーナへ行った時にロゴマークが光るのは
この子たちがトップアイドルへ向かう希望と祈りを
表現しているようで、とても好きでした。
No:59|
検索から来た者です、始めまして。

細かい考察は流石ですね。ただ仕事柄だと思いますが
> 太るということが与える意味の男女差とその重要性を軽視すべきではないだろうと思います。

の点がどうしても気になります。
確かに現実世界でのこの症状は問題が大きいと思うのですが、アニメの表現として使われた場合にそこまで理解しろ、と言うのは余りにも製作サイドの傲慢とも受け取れます。

実際私も初見の時にはフードを取った瞬間、思わず吹いてしまいました。何の冗談だよと・・・

後になってネットでの感想等見てそう言う理解もあるんだなと多少は理解できましたが、このインパクト重視の太ったと言う演出は、分り易さを重視すべき映画としてはギャグ要素が強くなり明らかに失敗だと思います。

他の原因を考えられなかったのなら、この展開は破棄すべきだった思います。
No:60|
> dragontwo2さん

続きの執筆は難航しておりますw

今回とは全然違う切り口のお話になる予定です。
刮目して待て!
No:61|
> kanekoさん

輝きの向こう側へいたるには、生命を燃焼させる必要があるのではないかと思うことがあります。

それゆえ、彼女ら/彼らはトップアイドルだったりトップアスリートだったりたりうるのではないか。

いかん、ポエムってしまった。すいませんw
No:62|
> そらまめさん

機能不全家庭の話は合っていたようでちょっとほっとしていますw

あのポジションは千早に始まる由緒正しいものではないかと思う次第です。

この映画の主役はミリオンライブ!のアイドル達であったと思っているので、当然のことながら彼女たちのことが好きになりました。

ヤバイ予感がしますwww
No:63|
> ステータス異常P

私もアリーナのロゴマークのシーンが大好きです。何回観てもあの瞬間、彼女たちもアイドルの仲間入りをしたんだなと感じて、号泣してしまうのです。

脱水になってヤバイですw
No:64|
> No59さん


お気持ちは理解できなくはありませんが、少なくとも私の周囲ではあのシーンで吹いてる人はいませんでした。

No59さんは、今回のことでそういう事象があると知ったと思います。であるなら、次回からは笑えないでしょう。そのことこそが一つの成長であり、No59さんの人生をより豊かなものにしたと考えることはできないでしょうか?

アイドルとはそういう存在だと思うのです。

No:66|
今日見てきて他の人の感想探してて見つけました
こう言う意見もあるんですね
僕はmusicのCDは場面的にはポスターなど彼女の部屋からみてアイドルにそれだけ憧れを持ってるから諦められないって意味かと思いました
あとフードをとったーンは理解力のない人の声が大きいだけで迷惑をかけたりその事を言われて悩んだ結果太ってもう迷惑かけれないと思って戻れなかったんですからなにも変なシーンじゃないですよ
全体的には起きない美希を起こそうとして泣いてる雪歩とおしゃぶり真美可愛かったですよね

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