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支払われよわが対価とプロデューサーは言った

誰かこういうことを言ってくれないかなあ、と思ってたらキタコレ!

底辺にすらなれないニコマスブロガー

この方は動画を公開することを、ある種の『贈与』であると認識されているようですが、それは違います。実際には動画を制作し公開するという行為と、それを視聴し感想を述べるという行為は、価値の循環という『経済行為』に他なりません。

『贈与』は、現実には不可能なのです。このことに関してジャック・デリダは以下のごとく述べています。ちなみに、インテリを気取りたければデリダを引用しろとはよく言われる台詞で、われながらその『似非インテリ』ぶりに失笑を禁じ得なかったりもします。ははは……。(^_^;)

デリダはこう言っております。

『ある人(A)があるもの(B)を別のある人(C)に贈与する。ところが、これが真の意味での「贈与」であって「交換」でないためには、贈り手と受け手のあいだに相互性があってはならず、したがって、受け手からの返礼や反対給付、また受け手の側での負債の発生などがあってはならない。そうしたものがあるやいなや、「贈与」はじつは「交換」であった、ということになってしまうからである。しかもこのことは、贈与や反対給付、負債やその返済が物質的レベルで起ころうと、象徴的ないし精神的レベルで起ころうと、本質的にはまったく変わらない。(A)が(B)を(C)に贈ったとき、(C)が(A)に感謝しなければならないとしたら、(C)は精神的負債を負ったのだし、(A)が(C)に感謝されて満足するとしたら、(A)は精神的な反対給付を受けたのである。』

『贈与』は『贈与』として現われるやいなや価値の交換になり、投資と回収という経済行為と化します。ですから、動画をニコ動に上げるなどして公開した時点で、それは『贈与』ではありえず、それはある種の経済行為なのです。

この場合、視聴者が動画制作者に支払う対価とは、主として動画を制作し公開してくれたことへの『感謝の気持ち』です。しかし、それなくして動画の制作と公開という行為自体が成立しないのです。その意味では制作者と視聴者はある種のパートナーの関係にあります。決して動画制作者一人で成立しているわけではないのです。

余談になりますが、ちょっと前にtwitterで『全ての自己表現者はかまってちゃんである』と発言をして顰蹙を買った(ような気がする)のでありますが、それは上記のようなことを言いたかったからで、『かまってちゃん』とは『感謝といった対価を期待する人』という意味ですので、くれぐれも誤解きよう、っておのれの表現がまずかっただけか。

そうやって考えてみると、ニコニコ動画はそうした『価値を循環させる経済システム』の構築を一貫して目指してきたことがわかります。

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こうした価値の交換それ自体は貨幣価値を伴いませんが、そうした感覚的な価値を数値化し現金化するアイデアと技術でもって、ニコニコ動画は感情的な価値の交換という経済を現実世界の経済へ変換し、ピンハネするシステムを作り上げたのです。これがYoutubeなどとは異なる点であり、私はYoutubeなどが動画『共有』サイトであるのに対して、ニコニコ動画はある種の『動画市場』であると思っています。おそらく彼らはそのことに充分自覚的であり、矢継ぎ早の機能の追加のスピードに比して動画サーバーの増強のスピードが比較的遅いことはそれを如実に表しているのだと思います。

というわけで、動画制作者とは今後もポジティブな感情の循環でもって、ニコマスという経済を潤滑に回していきたいと思っている内科部長でした。

次回はこうした経済システムで考えると『動画のアップロード者削除』はどういう意味をもつのか、題して『カレー食って(゚Д゚)ウマーと思ったら、半分食ったところでお店のオヤジにとりあげれりたよ』を語りたいと思いますが、リアル超多忙のためどうなりますことやら……。

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