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存在しないことの耐えられないつらさ

こんにちは。内科部長(循環器)です。このところリアル多忙にてなかなか記事が書けません。積んでる記事の数が半端ことになっております。「こんなん書いていいですか」、などとご許可をいただいた方もいらっしゃるのですが、ご容赦のほどを……。

と言い訳をしたところで、ちょっと話題になっておりましたこの動画のお話を……

でんP


まあ、予想されたように呼ばれなかったPの皆様が、大量のルサンチマン動画をアップされています

第六次P名呼ばれたか戦争 - ニコ百

6 月30日までに29作の動画がアップロードされております。さすがは、精神年齢も実年齢も大人のニコマスPですから、ユーモアにあふれる動画ばかりで、血で血を洗うような抗争には発展しておりません。でも、全然わだかまりがないかというと、そうではなくて、やっぱりちょっと『顔は笑ってるけど目は笑ってない』みたいな感じがありますね。
そもそもニコマスPとはどういう人間かというと、非常に『自己愛』が強い人たちです。言い方を変えれは『自己顕示欲』です。こう書くとdisってるように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。自己顕示欲は自己表現の推進力であり、この力を利用して、ニコマスPは作品を作り、アップロードしているからです。したがって、ニコマス動画は『健全な自己愛の発露』と言ってかまわないでしょう。

その一方で、ニコマスPは『自己愛』に対して、その正反対の感情である、『自己嫌悪』も強く持っています。というのも、自己愛だけ強ければ傲慢で不遜な人間になってしまうからです。傲慢で不遜な人は強い自己愛だけで物事を判断しますから、他者からの評価に無頓着になります。これでは批評を通じて作品をよりよい物にしていくという『成長のプロセス』をたどることはできず、良い動画制作者になることは難しくなってしまいます。そこで、優れたニコマスPは強い自己愛と、強い自己嫌悪を同時に持ちながら。その二つを上手にコントロールして、過剰な自己愛や、過剰な自己嫌悪に陥ることなく、成長し、正しい自己表現をなしえていくのです。

もちろん上記の話は、一つのモデルであり、すべてのニコマスPがそうだと言っているわけではありませんが、モデルとしては有力だと考えます。

さて、件の動画で名を呼ばれなかったニコマスPはどうなるかというと、当然のことながら自己評価が低くなり、自己嫌悪が増大します。すると自己愛が増殖してバランスをとろうとします。自己愛は自己顕示欲を増大させ、それは動画制作を促します。そうしてルサンチマン動画が制作されるわけです。動画の完成により自己愛はさらに増殖し、名前を呼ばれなかったことによる自己嫌悪を中和します。これがルサンチマン動画発生のメカニズムであり、ルサンチマン動画を制作すること自体が、ある種の『治療効果』をもたらす理由です。

さらにいうなら、この動画で名前を呼ばれなかったと言うことは、実は想像以上にニコマスPの心にダメージを与えるのです。なぜなら、人間にとって最大の欲求とは『存在の承認』だからです。あなたは必要とされてる人間である、生きていること自体に意味がある。そこにいても良いんだよ、そういうことです。

しかしながら、名前を呼ばれなかった時点で、存在の証拠は消滅します。これはとても辛いことです。

呼んだ基準などについても、作者のでんPをはじめとして、いくつかの説明がなされていますが、これをもって『存在の否定』という悲しみを癒すのは難しいでしょう。

しかも、ニコマスPにとって同僚のニコマスPというのは特別な存在であるようであり、特に同期のPに対する感情は、外部の人間にはなかなか理解しがたい物のようです。これは、同期に名前を呼ばれなかったという動画がいつくもアップロードされていることからも、うかがえます。

ニコマスPにとって他のニコマスPは家族であり、兄弟であり、同胞なのです。そしてその意識は同期と言った立場の近いP同士ではさらに強くなります。

家族の中で存在を否定されることは、人間にとって最大の苦しみです。「あなたはいらない子だ」「生まなければ良かった」いずれも言われた側には一生消えない傷をのこす最悪の発言です。そういう発言は決してしてはなりません。

名前を呼ばれないことは、上記のように直接的ではないか、家族同胞から相手に向かって存在を否定する『非言語メッセージ』を発したと、受けとられかねません。発した当人にその意識はなくても、受け手がそう感じれば、それはそうなってしまうのです。

だから、まあ楽しいお祭りですんでいるうちに、このお話は終了した方が良いのではないかと思ったのでした。と考えると20選直前の投稿時期は、あらかじめ意図されていたのかな、と思わなくもないです。狡猾な!

あ、それから、蜂矢さんがこういう企画を考え、主としてブロガー諸兄が挑戦しておられます。

何も見ずにP名いくつ言えるかな

興味深いと思ったのですが、これにP名が挙がらなことで、ニコマスPがルサンチマンを感じることはほとんどないことです。これは何を意味するのかと言うと、ニコマスPにとって、見る専ブロガーは家族や同胞ではない、ということだろうと思います。(もちろん蜂矢さんは優れた動画制作者ですが、ここではブロガーとしての蜂矢さんとして認識されてるとします)

逆に、見る専ブロガーの方は、内部でかなり競争しておられて、こちらはこちらである種の家族・同胞であり、その中で認めてほしいという意識は強まるのだなあと思った次第です。

というわけで、またまたニコマス界の方には不快な感情を抱かせるかもしれない話だったかもしれません。その点は職業柄こういう分析をせずにはいられなかったということで平にご容赦のほどを……。

というわけで、次回は書く書くと言って書いてない、動画の削除やニコマスPや見る専ブロガーの気分の変動にして、なんとか書きたいなあと。実はこの話の続編だったりします。

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